どりふてぃんぐそうる

Twitter:@fair_mios3

シャニマスに入門してイベントコミュを全部読んだ

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7000字くらいあります。

 

 

 軽い気持ちでオタクと通話していたらいつの間にかシャニマスをダウンロードさせられていました。しかもタイミングよく3.5周年記念とやらでイベントコミュが全部解放されていたので1か月半かけて読破しました。

僕はこれまでシャニマスどころかアイマスというコンテンツ自体にロクに触れたことがなく、Twitterでタイムラインに流れてくる二次創作イラストの誇張されたキャラの性格での解像度でしか彼女たちを知りませんでした。本編のゲームをプレイしてみて彼女たちの実像がある程度掴めたのは大きな収穫です。彼女たちは記号化されたキャラクターではなく内面を持つ一人の人間なのだと膨大な文量で主張します。樋口円香は安直なツンデレではないし黛冬優子は単純なぶりっ子ではありませんでした。

イベントコミュだけで相当な文量がありましたが、逆に言えばイベントコミュ以外は殆ど履修しておらず、各カードごとにあるらしい個別エピソードとか一部のキャラ以外のWING編やGRAD編は未読です(いつか読もうとは思っています)。あるオタクに「シャニマスのいいところはゲームをあまりしなくていいところ」と言われ、実際その通りでした(デイリーミッションは数分で終わるし、無料でガチャ引かせてくれる)が個別エピソードまで掘ろうと思ったらかなりの時間と資産を要求されるし、その辺りのエピソードを知らないとにわかと糾弾されそうなので本腰を入れて向き合うとなると色々と恐ろしいコンテンツではあります。ただ、多少なりとも触れればにわかなりにも語りたくなってしまう魔力を秘めたコンテンツであることは実感しました。

 

職業としてのアイドル

シャニマスをやっていて強く感じたことは「アイドル」という存在についてかなり深く、多角的に掘り下げていることです。僕はラブライバーなのでアイドルコンテンツ自体は初めてではありませんが、スクールアイドルは部活動としての側面が強く、一方アイマスは職業としてのアイドルを描いています。僕にとって商業アイドルは新鮮でしたがジャンル的にはアイマス系統こそ王道でラブライブの方が邪道とすら言えます。

ラブライブアイマスを決定的に分かつ要素はアイドルが「職業」であるか否かです。前者の場合アイドルは部活動なので目標は全国大会優勝だし、いいパフォーマンスをすれば適切に評価されるし、高校を卒業すれば引退です。対してアイマスでのアイドルは職業なので当然に金銭が絡みます。金銭が絡むことで少女たちのコミュニティに大人が介入し、番組の意向で不本意な仕事をやらされたり、仕事を貰うために彼女たちの個性を歪める必要さえ出てきます。温かな美少女コミュニティと冷徹な資本主義との対比、僕からすればこれこそシャニマスの魅力だと感じました。

補足1:僕がラブライブ!シリーズで好きなところは卒業・引退という明確なタイムリミットがあることです。美少女コミュニティの起伏のない日常も時間制限によって感動エピソードに変化します。彼女たちの生活や活動にはほとんど大人が干渉せず、引退により不可触のユートピアとしてパッケージングすることができます。その観点ではシャニマスは真逆で活動に終わりはありません。そりゃあ彼女たちが結婚や加齢によって引退することはあるでしょうが、少なくとも自分の知る範囲でそのような事態にはなっていません。シャニマスのアイドルがゲームの続く限り終わらないコンテンツであることは知っていたので、先述のようなラブライブの楽しみ方をする僕に合うか不安でしたがまあ普通に楽しめています。僕なりのラブライブの楽しみ方を「限られた時間の中でどう輝くか」という縦軸で考えるならシャニマスは「大人や大衆との競争の中でどう輝くか」という横軸で捉えるべきでしょう。

 

アイドルを職業として扱うということは、アイドルである彼女たちは自己実現の主体であると同時にファンや観客の要望に応える客体としての一面を持たざるを得ないことを意味します。アイドルの頂点に立つ人間とは最も可愛い人間でも最も歌が上手い人間でもなく最も大衆に支持される人間であり、これこそがアイマスで徹底されている視点の一つです。『OO-ct.-ノー・カラット』において圧倒的なパフォーマンスを見せる美琴に追いつけなかったにも関わらず結果的ににちかの方がファンからの人気を獲得し葛藤するシーンはこの点で印象的です。美琴はディレクターから「『実力派』と言っても歌と踊りが上手いだけでしかない」と極めて俯瞰的に評されます。自己研鑽によって向上する歌やダンスはアイドルの人気を構成する一要素でしかありません。それらはファンの「想い」のような抽象的で曖昧なものにいとも容易く負けうるのです。

彼女たちがどれほど努力してもそれで頂点へ辿り着けるわけではなく、彼女たちの命運は汚い大人たちや大衆によって左右されます。アイドルが商業上の商品である以上、彼女たちは周囲の視線を無視することができません。そのことに最も自覚的なのが黛冬優子です。彼女は誰よりもアイドルに真剣で、真摯に向き合っているからこそアイドル界を「バカバカしい世界」と言ってのけます。アイドルを研究し実情を知っているからこそ成り上がるために「ふゆ」の仮面を被るわけです。こうしたキャラ付けは園田智代子ですらやっていて、本来の人格とアイドルとしてのキャラの乖離に悩むのが『The straylight』における和泉愛依です。自己表現としての歌とダンスに特化した美琴のように、自分のやりたいことだけやる、得意科目をアピールするだけの主体的なキャラクターはアイドル界で大成しません。シビアな現実を受け入れ、主体と客体の二面性を認識してそれらを上手に乗りこなすことが必要とされます。

補足2:アイドル界がシビアな世界だという事実はプレイヤーにも突き付けられます。つまり単純にゲーム自体の難易度が高いのです。CPUと戦うだけなのに序盤はまあ勝てない。WING決勝に初めて来たときは緊張で手が震え、大事な場面でミスをして担当アイドルを悲しませてしまいました。勝てないことが当たり前で、有識者に色々教えて貰わなかったらWING優勝はできなかったでしょう。ちなみに優勝よりさらに難しいトゥルーエンドを迎えないとシナリオを最後まで読めない仕様は改善してほしいものです。俺はゲームに推しを人質に取られている・・・。

 

各ユニットの話

 さて、そろそろ各ユニットの話に入りたいと思います。シャニマスのユニットは初期時点で4つでしたが途中から3つが追加され、現在は7ユニットあります。この、前期4ユニットと後期3ユニットはユニットとしての性質が違うと僕は感じました。

まず前期4ユニット、すなわち「イルミネーションスターズ」「アンティーカ」「放課後クライマックスガールズ」「アルストロメリア」について。これらのユニット二次元アイドルを突き詰めていった形に思えます。

例えばイルミネはまさに王道のアイドルユニットで、彼女たちは所謂「普通の女の子」で、『catch the shiny tail』では真乃の自己肯定感の低さに対しプロデューサーは「みんなが特別で普通の女の子」「特別で優秀な人がセンターになるわけではない」と助言します。彼女たちは普通の女の子なので突出した能力があるわけではありませんが、代わりに無限の友情があります。友情が深すぎて対立がなく決断ができないのではという問いも『青のReflection』で解決してみせました。イルミネは美少女コミュニティの完成形として、また二次元アイドルとして理想のユニットと言えるでしょう。

例えばアルストロメリア。イルミネが友情ならこちらは家族のような距離感を持つユニットです。彼女たちには互いに対し無限の優しさが内包されていますが、それゆえに対立ができないというイルミネの変奏とも言える問題が横たわっていました。『薄桃色にこんがらがって』はメンバーがオーディションで対立することで馴れ合いで終わらない優しさを獲得し、ユニットの絆を強化する話でした。その後の『アンカーボルトソング』はソロ活動が増えて外部の環境が変化する中でもユニット内部の関係性は維持される話で、一連のイベントを通じてユニット内外から成長してユニットとして完成したと言えます。

要するに前期4ユニットはメンバー間が深い関係性で繋がっていて、一緒に練習で汗を流して喜びも感動も共有する。とにかく可愛くて、彼女たちは清くて一生懸命でひたむきだから、応援したくなるような存在なわけです。

次に「straylight」「ノクチル」「SHHis」の後半3ユニットはそれぞれコンセプトは違いますが三次元アイドルの文法で語るほうが適切だと思います。

 

straylight

ストレイライトは先述の仲良し4ユニットの逆で、メンバー間に闘争が組み込まれたユニットです。『straylight.run()』では「やりたくないことはやらない」純粋なあさひと「アイドルとして成り上がるためにはやりたくないこともやらないといけない」利口な冬優子が対立するし、『Worldend Breakdown』『Run4 ???』はそもそもメンバー間で競い合う話です。日常的にあさひと冬優子がバチっていて、それを一歩引いて愛依が見ているというのがストレイライトの基本姿勢です。彼女たちは単なる仲良しこよしではなく第一にライバルなのです。彼女たちはアイドルとしてトップに立ちたい思想は一致しているものの、そこに至る過程の思想が異なっています。あさひは天才なので周囲を気にせず自分のやりたいことを貫徹するし、業界の醜さを知っている冬優子は「ふゆ」になって媚びを売るし、愛依は意図せずしてクールキャラで認識されています。キャラを作らないあさひ、キャラを作る冬優子、キャラが勝手に作られていた愛依の図式ですね。そう考えるとパフォーマンスで他を圧倒してアイドル街道を進む彼女たちは可愛さでファンの庇護欲を刺激するような従来の二次元アイドル像と対比することができます。現代アイドルには確かな強さが必要で、強くなければアイドル戦国時代をサヴァイヴできないのです。

 

ノクチル

ノクチルはシャニマスで僕が一番好きなユニットです。その理由は僕が新規性を求める逆張りオタクであるから、つまりノクチルが反アイドル的なユニットだからです。彼女たちにとってアイドルは自己実現の場ではなく、幼馴染4人が楽しく生きるための手段でしかありません。彼女たちの人生における指針はファンや業界といった外側ではなく幼馴染の関係性という点で内側を向いており極めて閉鎖的です。浅倉は自由人だし雛菜は好きなことしかやらないし樋口は愛想がないし小糸はコミュ障。アイドルに限らずどこに出ても多少理不尽なことはあるとプロデューサーは言いますが、それ以前に仕事は選ぶ、返事が遅い、または返事しない、遅刻するなど彼女たちには社会性があまりに欠けています。職業としてアイドルするということは大人の世界で生きることを意味することは作中で散々語られてきました。売れるために誰だって多少のキャラ付けをするし、望まない仕事でも受け入れる、それが大人になるということです。ノクチルの4人は大人になれないのではなく意図的に子供であり続けます。なぜなら彼女たちにとって幼い頃から変わらない4人の関係性こそが絶対であり、他のことは大きな意味を持たないから。結果としてファンに叩かれても、業界を干されても、彼女たちは自身の幸福を追求しているから輝いている。彼女たちには本気で頂点を目指す覚悟も動機も存在しないので、当然キャラ付けなんかしないし楽しい仕事しか受けません。そしてシャニマスの凄いところは、こうした「ありのまま」の姿勢を全肯定しないところです。『天塵』は彼女たちの好きにさせた結果問題行動を起こして業界を干され、『海に出るつもりじゃなかったし』では売れてないことを活かした作戦で騎馬戦を戦いました。端的に彼女たちは問題児で、その上売れてない。社会に迎合しない斬新なアイドルだ、なんて奇跡的にヒットしたりするほどアイドル界は温くありません。しかしその挑戦的な姿勢は面白い、と思う制作者もいるのです。『さざなみはいつも凡庸な音がする』では問題児だから自然体でも面白いよねという企画の意図を思いっきりスルーします。だって彼女たちは普通の女の子でしかなく、そんな意図は当然汲まないから。「自然体」というのは常に一般常識の逆を行くことではなく、そんな自虐的な面白さすら棄却してしまう態度のことです。この辺りにシャニマスキャラの多層的な人格の描き方を感じます。3つのシナリオにおけるノクチルのスタイルの語り方には衝撃を受けました。売れないこと、つまらないこと、適応しないこと、これらのスタイルに否定を重ねるけど、それでも増していくノクチルの輝きの描写の仕方には舌を巻かざるを得ません。このまま一生売れないでほしいとも売れてほしいとも思う不思議なユニット、それが僕にとってのノクチルです。

 

SHHis

シーズは『OO-ct.-ノー・カラット』を読む限り悲劇的なユニットの印象を受けます。美琴は抜群の技術力を持っているのにそれらの技能はアイドル界では相対化された一要素にしか過ぎず、トップに立つほどのアドバンテージは得られない。その反面、にちかは一生懸命な子として一定の評価を得るも、それは彼女の望みではなく本当に欲しい技術力は手に入らない。凡人なのに身の丈に合わない望みを持ち才能に溢れた集団に蹂躙される、ワナビの芸人を見下す、シーズだからとちやほやされて調子に乗る、その癖自己評価は冷静に下すことができるから自分が最低なのを自覚している。にちかの痛々しさは割とラインを超えていて、彼女の毎日は自傷行為そのものだし、なまじ描写にリアリティがあって僕らの共感を誘ってしまうから彼女を見るほど僕らもダメージを受けてしまう。アイドルは過酷な世界で、骨の髄まで凡人の彼女はきっと何者にもなれないしなってはいけないような気さえしてしまうけれど、他のどのアイドルより幸せになって欲しいと思っています。彼女を見つめることは僕にとって猛毒ですが、それでも彼女たちの行く末を見守らないといけないような気がしています。

 

好きなイベントコミュ3選

とまあ粗方書きたいことは書いたので最後に僕が特に気に入った3つのイベントコミュについて紹介して終わろうと思います。

1:『天塵』

ノクチルのところで書いたので繰り返しになりますが、ノクチルのアンチアイドルぶりがたまらなく好きなのでこのシナリオが僕のナンバーワンです。浅倉が口パクを拒否して別の歌を歌ったことについて予想外で面白いとか評価されてどうせ売れるんやろなあと高を括っていたらその後当然のように干されてて感動しました。シャニマス世界に通底する「アイドル業界は甘くないし、嫌なことや理不尽なことも受け入れないとやっていけない」という世界観を徹底しているからノクチルみたいな変化球程度じゃ揺らがないし、そこが揺らいでしまうとキャラ付けなりなんなりをして必死にアイドルをやってる他のユニットが浮かばれないじゃないですか。だからノクチルは干されないといけないし、アイドルをやっていく上で無視できないそういった周囲の評価をいとも簡単に無視してしまえる彼女たちの反アイドル性を僕は評価しています。

しかも終盤で浅倉が言ったように、彼女たちはそうは言いつつも周囲の評価に100%無関心なのではなく多少は見られたい欲望を備えています。だから彼女たちのストーリーはここで終わらず『海に出るつもりじゃなかったし』に繋がるわけですね。

 

2:『アンカーボルトソング』

僕がこのシナリオを好きな理由は珍しく「終わり」が話題になったからです。ずっと底辺で嬉しいアイドルがいないようにアイドルにとって変化とは喜ばしいことです。アルストロメリアの3人も仕事が増えて売れ始めたことはいいことですが、それは彼女たちの関係性の変化を意味していて、今までのようにずっとユニットで活動することができなくなるわけですね。ソロ活動が増えてすれ違いがちになるような外的な関係性は変わっても、彼女たちの芯の部分、内的な関係性は変わらないという温かみのあるシナリオでした。

僕は千雪さんの「アイドルじゃなくなってもまた一緒に遊んでくれる?」というセリフが記憶に残っていて、その理由は僕の知る限りこの一言だけがシャニマスで明確に終わりを暗示させる言葉だったからです。彼女たちは今を精一杯生きることに必死でアイドルの頂点に立つことを一番に考えています。その点何気ない一言かもしれませんが千雪さんだけは引退後のことが頭にあります。それはつまりアルストロメリアはアイドルという共通項が外れたとしても変わらない関係性だと彼女が考えていることで、現時点での周囲の視線など「変化」がテーマにあって唯一縦軸の変化に言及したことが個人的にポイントが高いシナリオでした。

 

3:『straylight.run()』

これはまだ序盤のシナリオということもあってシャニマスの基本スタンスを再提示した話で、冬優子がアイドル業界を「バカバカしい」と言ってのけるシーンに全てが詰まっています。ストレイライトに限らずきっと全員が本当の自分を世間に受け入れてもらって評価されるのが幸せだと思っているけれど、現実はそうはいかない。ほとんどのメンバーは売れたいとか評価されたいとかその結果自己実現をしたいと思って事務所の門を叩いています。だから彼女たちはキャラ作りをするしやりたくない仕事も引き受けるわけですよね。最初の方に書いた主体と客体の対比とは理想と現実の折り合いをどうつけるかという話とパラレルです。自己実現をすること、やりたいようにやること、人から評価されること、評価されるような自己プロデュースをすること。

シャニマスは安易な美少女コンテンツが避けがちな現実と一貫して向き合っているという点で面白いと思っています。それは、日常的に命を賭けるようなファンタジック・SFチックな世界ではなくありふれた世界のありふれた少女の話です。