2月は結構オタ活したので記録に残しときます。コンテンツ履修ペースには波があって毎月やるとスカスカの月が出てくるので今後は不定期でやっていきます。
アニメ(48話)
ヴァイオレット・エヴァーガーデン(全13話)
ジョジョの奇妙な冒険ストーンオーシャン(全12話)
GREAT PRETENDER(全23話)
※これに加えて現行アニメは鬼滅、プリコネ、スローループ、着せ恋、ルパン、遊戯王を見ている
映画(25本)
ポケットモンスターシリーズ
・ミュウツーの逆襲
・ルギア爆誕
・結晶塔の帝王 エンテイ
・セレビィ 時を超えた遭遇
・七夜の願い星 ジラーチ
・裂空の訪問者 デオキシス
・光輪の超魔神 フーパ
・キミにきめた!
・みんなの物語
・ミュウツーの逆襲EVOLUTION
・ココ
ゲーム(1本)
書籍(18冊)
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(17巻)(再読)
推し、燃ゆ
ピックアップ
GREAT PRETENDER
ジョジョとヴァイオレット・エヴァーガーデンを見るためにネトフリに加入したのでネトフリ限定アニメを募集したところ勧められた作品。脚本が同一人物とはいえ『コンフィデンスマンJP』と同じ話すぎて笑ってしまった。詐欺師集団が悪党を騙して大金を稼ぐというのが基本的なフォーマットで、大体の話が悪党以外はみんなグルで純朴な主人公もろとも騙してましたというオチでワンパターン感はあるものの、それを加味してもかなり面白かった。『コンフィデンスマンJP』と明確に違うのは主要メンバーそれぞれが何らかの忘れられない過去があり、詐欺行為が過去の清算という側面を持っている点だ。彼らは詐欺師なので平然と嘘をつき他人を騙すが、過去だけは偽りない本物であり、他人に侵害されない聖域と化している。意識的かはともかく彼らにとって真に重要なのは悪党に復讐して過去を清算することであり、金を稼ぐことは付随する結果でしかない(彼らはそれほど豪遊しないし最終回でローランの目的を果たした後は引退を仄めかしている)。作中の全ての義賊的行為は最終的に主人公とローランの過去の清算に繋がっていくのだが、作中の行為が結局キャラクターの実存に結び付くのは何となく日本アニメ的だなと思いながら見ていた。最近MCUシリーズを見ていて思ったが、古典的アメリカヴィランは生まれた時から悪人なのでヒーローにボコられて当然という発想だが、ここ数十年の日本アニメ・漫画的ヴィランは悪事の理由がその出自に起因するものが多い。悪人には悪人の正義があるというのが昨今の物語の基盤であり、大義なく悪事を働くキャラクターの方が珍しい(前者の典型がうちはオビトやマダラ、後者が鬼舞辻無惨)。主人公チームの犯罪行為も、悪人の富豪からしか盗まない義賊的な側面と過去の清算という実存的な側面から善良な大義として擁護されている点でドラマとアニメの方向性の違いを感じた。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
そのうちDアニメに来るだろと勝手にチキンレースをしていたが、来る気配がないので根負けしてネトフリに加入した。前評判通り面白かったし、俺はこれを見て順当に感動したタイプの人間なので取り立てて言うべき感想もないというのが正直なところだ。俺的に少佐には死んでて欲しかったので生きてて萎えたが、それは個人的な感想でしかないため評価を落とす理由にもならない。
ヴァイオレットちゃんはアニメ中盤くらいで既にアスペ描写がある程度減って一般人程度にはコミュニケーションが取れるようになっており、以降は喪失した愛情を取り戻すストーリーが展開される。同時に、彼女が人間性を獲得するにつれてキルマシーンとしての側面は減っていき、ついに映画では超人描写は殆どなくなるに至る。ヴァイオレットをキルマシーンにして普通の少女として育ててやれなかったことを少佐が悔いている点からも分かるように、そういった戦闘狂的な個性は否定されるべき一面なのかと疑問に思っていたが、その時代があったから少佐に愛情を持てたとヴァイオレットちゃんが肯定したシーンが結構よかった。人間性を獲得する代わりにキルマシーンを否定して普通の少女として生きる少女の物語ではなく、戦闘少女の個性と人間性を両立する少女に成長する物語に再規定した点で劇場版は意味があったように思う。
最終的に彼女は退職して離島に住む少佐に嫁ぐのだけど、これって昨今のディズニーにありがちなリベラル展開の真逆を行っている。アナ雪ならありのまま生きるのよ~とか言ってドールの仕事をしつつ少佐と遠距離恋愛しそうなものを、身分も仕事も捨てて愛に生きるのは結構前時代的ともいえる(この辺は作中で描写されている時代背景が結構大きいが)。ただよく考えるとヴァイオレットの目標は初期から「愛情について学ぶこと」だったので、ドールの仕事を通じて愛情を含む人間性を獲得し、少佐との愛を育むエンドは正規ルートなのだろう。全体的に展開の驚きは少なかったけど、手垢のついた素材でここまで上質なものを出されると素直に感動せざるを得ない。
異常作画と順当に泣けるストーリーのおかげで、昨今のアニメの中では比較的パンピーに推奨しやすい部類だと思う。
ポケモン映画
書きました。ポケモン映画、面白いけど毎年映画館まで足を運ぶモチベはないので何年後かに追加分を配信で一気見するくらいのテンションでいる。
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(再読)
本棚の整理をしてたらついつい全部読み返してしまった。ギャグのノリが今読んでも面白いし、キャラクターもいい。当時は黒猫派とあやせ派で派閥争いをしていた記憶がある。俺妹って要するに本音と建前の話で、ヒロインの桐乃は陽キャかつオタクだけど、社会的に死なないようオタクカルチャーなんて知りませんよと建前を言って生活している。逆にオタク友達の黒猫や沙織はオタク文化大好きという本音を隠さず生きている代わりにぼっちだったりして社会的に死んでいる。そして主人公の京介はオタクではないが建前を使わず本音で生きている。何巻か忘れたけど、ヒロインの手作り料理を食べた京介が普通にマズいというシーンが本当に好きで、彼の人間性を象徴していると思う。この頃の主人公ってマズいものを我慢して食べて口では美味いと言うような奴らが多かっただけに彼のスタンスは当時の俺にとって新鮮だった。彼はオタク文化も下手な料理もキモいとかマズいとか平気で言ってのけるが、それは彼が本音で生きている証拠でもある。キモいものはキモいけど、だからといって避けはしないし本音で生きようぜというのが彼の基本的なスタンスだ。そういう京介に感化されて、自身のオタク的側面も本心だから受け入れてもらいたいと桐乃が奮闘するのが本作の大筋である。
今思えば俺妹は「アニメはキモくて人に打ち明けられない趣味だしオタクは社会的に認められない存在」という前提があって成立する話だが、今では価値観が変わってきて当時と比べればアニメも市民権を得ている。このことは今期やってる『その着せ替え人形は恋をする』を見てると如実に実感する。ヒロインのマリンはギャルでオタクという桐乃に近いキャラだが、桐乃のようにオタク趣味がキモいかもなんてことで一切悩まない。バッグにアニメグッズをつけ「人の好きなものをバカにするなんてありえない!」と一蹴してしまう。多分俺妹の時代設定であればマリンは普通にドン引きされて終わりだったと思う。今は鬼滅とか東リベとかのアニメはオタクじゃなくても見ているし、アニメはドラマや漫画と並行して列挙できるくらいの地位は獲得しているらしい。それでもマリンの女児アニメやエロゲ好きはキモいけど俺妹のように絶縁を言い渡されるほどのものではないと思う。まとめると、俺妹は当時のオタク文化の社会的な立ち位置を感じられる良いラノベだった。
推し、燃ゆ。
元はと言えば職場の同僚がその友人から勧められるも読むのが面倒になって俺に押し付けられたもの。ちゃんと読んで2000文字くらいの感想文を代筆して提出した俺を褒めてほしい。直木賞受賞作品なだけあって文章の格式が高い癖に内容がオタク過ぎてギャップに戸惑った。タイトルを見れば分かる通り、推してるアイドルが炎上して精神的に疲弊する主人公の心理を描いた作品なのだが、この手の小説の読者層がオタクの心理を理解できるか疑問である。やたらと上手い文章でアスペオタク主人公の実生活が崩壊していく様を見せつけられるのは嫌なリアリティがあった。主人公は元々リアルが終わっている分、推し活が生きがいとなって推しのアイドルに人生を依存している。炎上した結果最終的に推しが引退して主人公の実生活に虚無だけが残るラストは人によっては直視できないものだろう。ちゃっかり地下ドルに推し変してその地下ドルと付き合った親友ポジの女と対比されているのも結構残酷で、虚像を追い続けるオタクの末路の臨場感は当事者でないと分からない。これを読んでいる時に某Vtuberの炎上事件が起きたので偶然とはいえかなりタイムリーな話題で、「あるあるある・・・」と頷きながら読んでいた。オタクはアイドルを偶像のように崇拝するけれど、実際はアイドルも普通の人間なので異性と付き合っていたり業界人にしか知りえない汚い実情があるのだろうが、ファンからすればそんなことは知りようがなく、炎上しようが引退しようがそれに干渉する力はない。一方的に信奉しても見返りはないし、大部分のファンもそんなことは理解した上でおままごとを楽しんでいる。ただ頭では理解していても実際簡単に切り分けられるものではない。表面上恋愛は自由だしと言ってもやっぱり推しのVtuberには処女性を求めてしまうし、代替可能な金蔓の一人だなんて認識されたくはない。「沼に嵌まる」とはよく言ったもので、沼は心地良いから嵌まるほど現実を忘れさせてくれるけど、夢が醒めた時には取り返しがつかなくなっている。本作はそんなオタクの二面性とか絶妙な心理を鋭く指摘した作品で、心当たりのあるオタクにはお勧めしたい。
つまり何が言いたいかと言うと、るしあがいなくなって寂しくて気持ちの整理がつかないというだけです。