どりふてぃんぐそうる

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アイシールド21の感想 雄の生き方とは


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紙で買ってスペース取るのも嫌なのでジャンプ+の電子書籍で買ったんですけど、言われるほどUIは悪くなく読みやすかったです。ただ見開きのシーンが多くてその都度画面を傾ける必要があったのは明確によくなかったです。

 

 関東大会以降は流し見で読んだことはありましたが、通算で一番好きな試合は白秋ダイナソーズ戦だし、好きなキャラは峨王とマルコです。世間的には神龍寺戦がベストバウトで以降は蛇足と囁かれているのを聞いたことがありますが、個人的にはそれ以降も尻上がりに面白くなって最後まで楽しんで読めました。

アイシル(略称これで合ってる?)では多くのキャラクターのエピソードが扱われますが、基本線はセナの成長物語です。主人公セナはチビのヒョロガリで幼少期からパシられる典型的ないじめられっ子タイプで、野蛮なアメフトのイメージとは対称的です。姉崎まもりは世話焼きなセナの幼馴染で、気弱なセナをずっと守ってきました。まもりにとってセナは年の近い異性ではあるものの完全な庇護対象であり、周囲からは「母親」とまで言われるなど彼女は明確な母性のモチーフとして描かれます。母親は子を守り安心感を与えるものなので、まもりはセナを外敵から守る存在ではありますが、それは同時に彼の主体性を奪う存在であることを意味します。危険だからとセナがアメフト選手になるのを止めようとする行動がまさにそれです。アメフトをやっていることを悟られないようアイシールド21としてプレイしていたセナですが、盤戸戦においてアイシールドを外し正体を明かします。この時点においてセナは母親に守られる主体性のない庇護対象から、主体性を持って生きる一個人へと成長します。

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その後も選手としての進化を続けるセナですが、白秋戦ではQBでチームの司令塔であるヒル魔が峨王に腕を折られ戦線を離脱することになります。実力的に圧倒的に劣る相手に対しても泥門はヒル魔の奇策とハッタリでジャイアントキリングを成し遂げてきただけに、彼はセナらにとって精神的支柱であると同時に超越的な存在として君臨していました。母としてのまもりの手を離れた後もセナは父としてのヒル魔の下で庇護される存在だったのです。

なぜ僕が白秋戦が一番好きかというと、この試合で初めてセナがヒル魔抜きで戦い、ヒル魔の代わりにチームを率いたからです。信頼できる親が背後にいる安息の地から、自身の力で生き抜く必要がある戦場に、一匹の雄として赴いたからです。ヒル魔の保護下から離れたセナは、最終的にまもりやヒル魔とは違う大学に進学し、彼らと敵対する道を選択します。親元を離れて自立した個体として生きる雄の生き方、この「雄」という概念は以降のアイシルで頻出テーマとなります。

 

アイシルでは序盤から「天才と凡人」の対比が繰り返し使われてきました。特に有名なのは進に対する桜庭の「勤勉な天才に凡人はどうしたら敵うのか」という問いかけです。従来のスポーツ漫画において天才とは努力した凡人の絆によって打ち負かされる存在であることが多かったように思えますが、進は努力する天才なので同じように凡人が努力しても勝てないし、進以上に努力量を稼ぐのも難しいです。この超えることのできない絶対的な壁に対してどう向き合うかがアイシルの大きなテーマとして横たわっています。雪光はいくら努力したって阿含には勝てないし試合にフル出場する体力もありません。阿含だって峨王にはパワー負けするし、その峨王でさえミスタードンには地力では敵いません。進だって日本人であるがゆえに体の作りの違う白人や黒人の遺伝子の壁に阻まれます。どれだけ天才に思える人間も、自身よりさらに上位の存在がいる点で日本人サイドは共通しています。


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「天才に対して凡人がどう戦うか」の問いに対するアイシルのソリューションは最終巻で峨王とマルコが提示した「雄の生き方」に帰結します。神に縋って奇跡を待つでもなく、勝てない戦いから逃避するでもなく、勝てるか勝てないかの打算は置いといて格上の敵だろうが戦いを挑むこと、それしかないのです。ここで大事なのはどの生き方を選択するかは自由であり強制されるものではない点です。デスマーチの途中離脱が認められることや、阿含に挑戦することを諦め別の道を選択した雲水に見て取れるように、現実から目を背けて何もしなくても、現状を受け入れて戦いを放棄しても誰からも責められることはありません。ただし全ての男が持つ「頂点を取りたい」という渇きを消すには戦うしかないというのがアイシルの提示する生き方です。


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また、挑戦したからそれで満足というわけはありません。あくまで最終目的は勝利のみで、敗北には何の価値もないというのは初期から再三言われていることです。弱肉強食の雄の世界においては過程は意味を持たず、結果が全てです。その上世界には抗いようのない生まれついての絶対的な差があり、それでも過酷な勝負の世界に身を置いて挑み続けるしかないのです。

凡人が努力で天才に勝てるのであればそれはもう凡人のカテゴリーからは逸脱しています。努力では覆せない絶対的な先天性の能力差に力点があるアイシルにおいて、最終戦であるアメリカ戦で安易に絆やらで奇跡やらを理由にして勝利せず引き分けで終わったのは、ご都合展開にならない丁度良い落としどころだったかなと思います。

 

以上、セナの成長のターニングポイントとして、また「雄の生き方」をきちんと提示した存在として僕は白秋ダイナソーズ、マルコそして峨王が好きだという話でした。

 

ちなみにTwitterのオタクがシコれる萌えキャラに対してよく貼っている「抜きます」の画像、あれは本来大真面目なシーンで、盤戸スパイダーズの筧をランで抜かないと勝てない場面で「抜ける」か「抜けない」かの2択を迫られたときにどちらでもない「抜きます」を言い放った場面なんですが、ヒル魔から提示された2択ではなく、勝てる根拠はないけど勝利を強く意思表示する、まさに雄の生き方を体現した名シーンなんです。そんな雄の生き方が下劣なオタクの性欲に汚されて僕はそこそこ悲しんでいます。


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