どりふてぃんぐそうる

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【ラブライブ!】『蓮ノ空』の感想 献身するアイドル達の輝き

ラブライブシリーズも10年以上続く長寿コンテンツとなりましたが、今年さらに新プロジェクトがスタートしました。それが『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』です。シナリオもよかったですが、何より本作は昨今のVtuber文化とラブライブのコンセプトを融合させた作りになっているところが魅力です。せっかく履修したので古参ラブライバーとしての視点も踏まえ感想を書いていきます。

『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』は従来のテレビアニメではなくYouTube配信または専用アプリでシナリオが進行する形式を取ります。3Dモデルを使用しているもの立ち絵を使った会話劇が中心となっているため、ソシャゲでストーリーやノベルゲームを遊んでいる感覚に近いです。各話60分程度で現在13話まで公開されています(この記事を書いている途中で14話が公開されたらしいですが、未読なので13話までの内容について触れていきます)。アプリのゲーム部分は遊んでいません。

 

 

推しは推せるときに推せ(余命:在学期間)

μ'sの「今が最高!」って歌詞、シリーズ全体を貫く柱になっていて好き

乱立する二次元アイドルコンテンツにおいて、ラブライブシリーズとそれ以外との大きな違いは、それが部活ものであるか否かという点でしょう。推しという概念が浸透しアイドルが個人の依存先にまでなっている昨今、できることなら好きなアイドルには永遠に活動してほしいと思っている人が多いはずです。AKBでもアイマスでも何でもいいですが、ハナから卒業を匂わせてデビューするアイドルは存在しません。熱心なファンは推しに自己の実存を仮託してるのにポンポン辞められたらたまったものではないので。

一方ラブライブシリーズはアイドルものであると同時に部活ものでもあり、引退や卒業という概念があらかじめ組み込まれています。初代のμ'sは矢澤にこら先輩の卒業と同時にユニットは解散しファンの涙を誘いました。以降の続編でもアイドル活動期間=在学期間という、時間の有限性にフィーチャーした作りとなっていることが多いです。限られた時間の中でいかに廃校の阻止や全国優勝といった目標を達成するか、そしていかに美しく最期を飾るか、という刹那的な美学がラブライブシリーズには通底しています。

つまり、ラブライブシリーズでは一般的にアイドルに求められる無時間性に逆行して有限性を尊重していると言えます。

 

補足:部活ものの漫画でも有限性の美学は頻出です。大体の学生スポーツ漫画って「今のメンバーで戦えるのは今年だけ」と言って「負けられない戦い」になりがちです。実際は主人公は1年や2年であることが多いので翌年も挑戦できるのですが、大切な先輩を優勝に導きたいという感情的な理由や主要メンバーの抜けた翌年度は描きにくいといったプロット上の理由で背水の陣とならざるを得ません。ラブライブはどちらかというと部活ものに近いのでこの法則がそのまま当てはまりますし、それが直接的に感動に繋がります。何だかんだ愛着のあるキャラクターの喪失体験ってストレートに泣けます。

 

 

バーチャルに見せかけた超リアルコンテンツ:二重の時間性

公式Twitterアカウントのヘッダー

ラブライブシリーズのもう一つの特色として作中の出来事と現実のリンクが挙げられます。またもμ'sを引き合いに出しますが(一番詳しいのがこの時代なので許してほしい)、劇場版でμ'sが完全に引退したすぐ後に最後のリアル声優ライブが行われ、僕を含め当時のファンは誰もが号泣しました。これはやはり僕たちファンが作中の彼女たちと同じ感情を追体験したことが大きいんだと思います。初代が起こしたのが時間のリンクとするなら二代目のサンシャインは空間のリンクになります。作中でも沼津はいいとこと主張しまくり、リアル方面でも舞台となった沼津を強烈にプッシュし完全に聖地化しました。

ここでやっと『蓮ノ空』の話ですが、このシリーズは時間のリンクを先鋭化したコンテンツと言えます。上に貼っている公式のヘッダー画像の内容が全てなんですが、どうやら『蓮ノ空』では作中の時間と現実時間がリンクしているらしいです。要するに今年の4月にコンテンツがスタートしたから来年の3月にはメンバーは進級し新入部員が入ってくるし、さらに一年経過すると初期で先輩だったメンバーは卒業して引退するわけです。これってすごく画期的であると同時に危険な試みです。確かに追体験に伴う感情移入という点においてはこれ以上のものはないですが、アイドル的な観点から行くとデビュー時点から引退時期が分かるというのは諸刃の剣です。

 

しかももう一つ凄いのが『蓮ノ空』はバーチャルであることをウリにしている点です。確かにYouTubeの配信はアバターがやってるし、配信でのライブはアバターが躍っている。この辺はかなりVtuber的で現代にアップデートしてきた感があります。

ホロライブでも何でもいいので適当なVtuberを想像してもらいたいんですが、バーチャルであることの利点ってリアルと切り離せる点にあるわけじゃないですか。演者がどんな容姿をしていても加齢で衰えてもアバターの見た目は変わらないし、デビューから何年経とうがアバターは年を取らない。そういう無時間性が先述のアイドルコンテンツの需要・構造とマッチしているからVtuberもアイドル化しているわけです。『蓮ノ空』はそういったバーチャルの利点を一つ捨ててあえてリアルタイム路線で勝負していることが凄い。

そういう意味で『蓮の空』はバーチャルであることを標榜しながら同時に最もリアリティを伴うシリーズということができます。ここが本作の要石であり面白いところなんですが、めちゃくちゃ攻めてるなあ。

 

補足:タイトルの二重の時間性というフレーズは「学校の卒業=アイドル引退」というタイムリミットと「現実と同調して作中時間が進む」というリアルタイム性の二つを総合しています。これどっちかだけなら延命可能なのでそこまで珍しくありません。ソシャゲなんかは割とリアルタイム性があって、当初JKガールズバンドコンテンツだったバンドリはどうなるかと思ったら普通に大学生編やってるらしいです。もうやってないけど。ソシャゲでもアイドルでも何でもいいですが、人気が出ている限り商業的にはコンテンツを延命するじゃないですか。その方が双方嬉しいし。だから『蓮ノ空』みたいにここまで時間に縛りのあるコンテンツってかなり珍しいです。

 

 

グループから個人を推す時代へ

村野さやかさんに投げ銭したい

ここ10年くらいで個人にフォーカスする時代が進んだと肌感覚で分かります。良く言えば人権意識が向上し少数派の個性も尊重する風潮になったと言えるし、その裏返しで色々な問題も起きています。アイドルで言えばオタク層を突き抜けて一般大衆に浸透しつつある「推し」という単語だってそうです。「推し」が個人を指し示す単語であるからこそ、それを拡張して「箱推し」という単語が生まれてくる。アイドルグループでもホスト集団でも何でもいいですが、特定のコミュニティがあったとしてもその中の個人を抽出して応援する、という風潮になりつつあります。

ラブライブシリーズもその影響を受けてかシリーズを追うごとにスタイルが変わっています。『無印』や『サンシャイン』時代は「廃校の阻止」や「全国優勝」といったグループや学校全体で取り組む大目標がありましたが、時代と共にそういった大きな物語は共感を得づらくなったのか『虹ヶ咲』では徹底した個人主義の方向に舵を切っています。彼女たちは同じ学校の同じクラブに所属する仲間ではありますが、同じ目標を持つわけではありません。各自がソロアイドルとしていかに自己実現するか、というストーリーになっているところが時代を押さえています。だから彼女たちは全国大会には出場しないし学校が廃校の危機にも陥らない。大きな物語から小さな物語への転換という意味で『虹ヶ咲』を結構評価しています。

『蓮ノ空』もこの傾向を引き継いでおり、彼女たちは部員6人で全国大会を目指すものの、全体グループではなく二人組ユニット3つで個別に競う、というスタイルを取ります。またメンバー個人個人が配信チャンネルを持ち個別に配信を行っています。完全に個人活動に注力しているわけではないですが方向性としては『虹ヶ咲』的ですね。特に配信のくだりは作中だけに収まらず現実に行っているので、メタ的にも面白くバーチャルの利点を生かしていると言えます。生配信のリアルタイム性も、YouTubeチャンネルへの移行という集団から個人へのスライドもVtuber的で時代に即しているし『蓮ノ空』のコンセプトも満たしている。展開が上手くて感動します。

 

やっぱり僕は村野さやかさんが好きです

高校1年生(人生2周目)

ここまで本作のシステムの話ばかり長々と語ってきましたが、そろそろ本編のストーリーの話をします。ストーリーの話を見ていて(読んでいて?)まず思ったのは、「メンバーが他部員のこと好きすぎだろ」ということです。これはラブライブに限らず美少女萌えコンテンツなら大体そういう傾向なのですが、『蓮ノ空』メンバーは各位があまりに献身や自己犠牲の精神が高いところがポイントです。先輩二人はお互いがお互いを大事に思うあまり他校からのスカウトを断りキャリアを諦めるし、1年生のさやかは姉のためにスクドルになり、金髪のルリちゃんは慈のために留学したり帰国したりするし、生徒会長は部のためにスクドルをせず裏方に回ることを決意します。個別に切り取るとまあアニメでよくある話かもしれませんが、ここまでつらつら語った『蓮ノ空』の独自性も加味すると意味合いが変わってきます。

スクールアイドルは高校在学中しかできないので最長3年です。しかも『蓮ノ空』はリアルタイムと連動しているので作中時間の引き延ばしによる延命も不可能です。時間制約が他のコンテンツと比べ厳しいので、彼女らにとって一日一日の価値は相対的に重い。彼女たちのキャリアには強烈な縛りが課されています。だからよそ見せず目標のために日々精進する必要があるし、キャリアを一部でも断念することは相当な覚悟を意味します。

また、いかにセルフプロデュースをして個人に注目を集めるか、推されるかが重視される現代において、献身や自己犠牲というワードは縁遠くなりつつあります。むしろ他人に不用意に干渉せずあくまで個人の幸福を主張するような時代性においてこそ、逆説的に滅私の困難さも浮き彫りになってくるものです。

であるならば、蓮ノ空メンバーに共通する自己犠牲精神は重大な意味を持つはずです。彼女たちだって全国優勝したいしスクドルとして高みを目指したいという思いはあります。けれど部員や部活や学校への愛情がそれを凌駕するというのはラブライブシリーズらしくていいですね。個人主義へ誘導することで結果的にコミュニティの価値を担保するストーリーテリングに脱帽です。

ただ彼女らの献身性は、12話において生徒会長の「なぜスクドルをやるのか」という問いによって非難されます。花帆やルリちゃんは自己プロデュース力に秀でているので自分のためである理由も難なく答えることができますが、姉のために始めたさやかさんは中々答えられません。ここから紆余曲折ありますが最終的に彼女が提示した答えは「みんなの期待に応えたいから活動する」というものでした。個人的にはこれかなりすごくて、活動理由という極めて個人的な命題にも自然に他者を絡ませていること、これまで擦っていた自己→他者の矢印の「奉仕」「献身」と逆の矢印なのにやっていることが同じで一貫していることを一文で説明しているんですよね。しかも日々先輩のお世話(介護)をしていたり姉のためにスクドル始めたという動機を知っているプレイヤー視点だとそれが嘘でないことが明らかだしキャラ的にもブレがない。僕らがそれを知っているのも日々彼女らの配信を見ているからというメタ的な裏付けも取れていて隙がない。脚本上手すぎィ!別に自己犠牲がなんでも素晴らしいとは言わないですが、ここまで書いてきたようにこの作品の時代性、背景を知っているとさすがに褒めざるを得ません。

 

以上、僕が村野さやかさんを好きな理由についてでした。今後も『蓮ノ空』を応援しています。ちなみに「蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん」とかいうダサすぎるファンネームはマジでこのままいくんですかね・・・?