どりふてぃんぐそうる

Twitter:@fair_mios3

2022年3月・4月履修コンテンツ スローループ/十三機兵防衛圏/ドラえもん映画etc

春アニメマジで見るものないんですけどオタク卒業でいいですか?

 

 

アニメ

鬼滅の刃遊郭編(全11話)

・プリコネ2期(全12話)

・スローループ(全12話)

・その着せ替え人形は恋をする(全12話)

遊戯王SEVENS(全92話)

ルパン三世パート6(全24話)

 

映画

ドラえもんシリーズ:のび太の恐竜~新恐竜まで(40本)

 

ゲーム

星のカービィディスカバリー

十三機兵防衛圏

 

漫画

ハイキュー!!(全45巻)

 

書籍

現代思想入門

映画を早送りで観る人たち

 

 

ピックアップ

スローループ


絵柄が好みだったので神アニメです。本作はきらら系アニメにしては珍しく家族関係にスポットを当てています。メインヒロイン二人はそれぞれ父と母を亡くしており、未亡人となった母と父が再婚することでヒロインズが義姉妹になるところから物語が始まります。きらら系にも色々ジャンルがありますが、ほとんどは女だけのコミュニティ(クラスメイトとか部活とか)内の関係性を描写するのに対し、スローループは学校生活の描写は少なく、家族を軸にした交友関係が展開されていきます。萌えキャラのみの空間を作るため意図的に親族を排除していた従来のきらら系と逆のアプローチを取り、ヒロインの関係性を深めるエッセンスとして家庭環境を取り上げるのは面白かったです。

まあ中盤からは萌えキャラの遊びに親とキッズが同行するだけの普通のきらら系アニメになった感は否めませんが、発想と絵柄だけでお釣りが来るので今期では一番楽しみに見ていました。

 

 

映画ドラえもんシリーズ

3月はディズニー映画を見るつもでしたがアマプラに追加されてたので予定を変更しました。

幼少期だと神映画に思えていましたが今見るとそこまで面白くなかったです。今回僕はドラ映画シリーズを「いかにドラえもんの力を制限するか」という観点で見ていました。ドラ映画ってのび太一行が様々な世界を冒険するのがコンセプトですが、危険に遭遇するたびにひみつ道具に頼っていたら全く緊張感が出ないんですよね。だから各地の冒険に必要な最小限の道具だけは用意して、あとは道中で何らかの理由で道具を使えなくするのがお決まりのパターンになっています。例えば四次元ポケットを紛失するとか、特定の道具が故障するとか、ドラえもん自体が故障するとか原因は様々です。ドラえもんがフルパワーでいると古代人や異世界人の文明では太刀打ちできず一方的な蹂躙になってしまうので制限をかけて、のび太らの冒険感を醸し出しているわけです(ボスがドラえもんと同じ未来人の時のみ例外)。

大体同じような展開なのでシリーズ通して個人的に似たり寄ったりの評価ですが、ブリキの迷宮だけはよかったです。本作は元々のび太ひみつ道具に頼りきりで堕落しているという下地があって、その上でドラえもんが拉致されのび太が道具もドラえもんもなしで冒険する展開になっています。つまりドラえもんの能力制限が冒険感を出すことに加え、のび太の自立を促すという二重の意味を持つわけですね。加えて、能力だけでなくドラえもん自体が拉致されることにも意味があります。本来ドラえもんは超越的な能力でなく孤独なのび太の友達としての役割を持っています。ドラえもん本体の喪失は、能力面と精神面両方においてのび太の成長に作用していました。まあ最終的にのび太はいつも通りの生活に戻ってしまうわけですが、このあたりの理由からブリキは他のドラ映画より頭一つ抜けていたように思います。

 

 

十三機兵防衛圏

 

タイムリープ・仮想世界・クローン・記憶移植・平行世界・テラフォーミングなどSFで擦られまくってきた要素を組み合わせて新規性のあるシナリオに仕立てる手腕は見事で、面白すぎて3日ぶっ通しでプレイしクリアしました。

シナリオが精神分析っぽいなと思い検索しましたが全くヒットしなかったので、以下の感想は僕の誤読の可能性もあります。

もう思いっきりネタバレですが、主人公たちが暮らす現実だと思っていた世界は仮想現実で、真の現実世界は宇宙ポッドの中という世界観はマトリックスを参照しているのは明らかです。作中において人類はほぼ絶滅していて、最終的に主人公らは人類復活のため1200光年彼方の惑星に移住して物語は終わります。精神分析に当てはめるなら仮想現実世界が想像界、宇宙ポッドが象徴界、移住先の惑星が現実界に対応します。宇宙ポッドはDNA情報だけの主人公らを成長させる保育器という設定は精神分析でいうところの「母」に該当しますし、13人の主人公らが真の記憶を「思い出す」ことでストーリーが明らかになるクラウドシンクシステムは精神分析治療の手法に近いものがあると言ってもあながち間違いではないでしょう。

この「思い出す」ことが肝要で、その行為自体は症状の原因を発見するだけで現実の問題は全く解決していません。主人公らが現実に生きている世界では人類は滅亡寸前であり、想像界たる仮想現実世界も侵略されています。僕は当初人類を滅亡させた黒幕、つまり2188年における人類の生き残りである主人公らのクローン元を倒して父権的な存在から自立する話だと思っていました。ところがクローン元は復活を匂わせるようなことを少し言っただけでその後のストーリーには登場せず、主人公らがどう成長し、どう生きていくかという方向にシナリオが展開されていきました。その最たる例が主人公らが自由恋愛をした結果、クローン元(親世代)とは異なるパートナーを持つことになる点です。彼らは自立するに当たり父権的存在を打倒したいとか人類を復活させたいという大義はなく、彼ら自身がどう自分の人生を生きるかというリベラルっぽい思想を持っています。行き過ぎた資本主義が人類を滅ぼすのなら、いっそプリミティブな欲求に立ち返って大義なく自由に生きるということ。散々精神分析のモチーフを持ち出しておいて父・母ー子の親子関係に縛られない脱精神分析的なシナリオに現代の思想を垣間見ました。

 

 

映画を早送りで観る人たち

 

新書の類は普段読みませんが、サブタイトルの『ファスト映画・ネタバレ―コンテンツ消費の現在形』が気になって買いました。元々のネット記事を既読だったのもあり、大方予想通りの内容でした。履修コンテンツなどと言いつつ、時にソシャゲと並行しながらコンテンツを消費している自分にとってはそれなりに関係ある話です。

本書では現代においてコンテンツの高速消費が発生する理由について複数の仮説が提示されています。僕の場合はコンテンツを消費することによる自己のレベリングという極めて内向的な理由のため本書の仮説には当てはまりませんが、著者の見解には概ね同意しています。例えば、コンテンツを外的なコミュニケーションツールとして捉えているので、SNSを介した広大な交友関係を網羅するために効率的にコンテンツを消費する必要があるという主張はTwitterなどを見ていると顕著です。「〇〇見た!最高だった/感動した/泣いた」などの、ネタバレを考慮しているのか単に感性が薄いのか分からないツイートは毎日のように流れてきます。寧ろ文字制限ギリギリまで感想ツイを練ったりわざわざブログに感想を書く人間の方が少数派です。この傾向は今に始まったことではないですが、SNSの発展により自分の上位互換の感想・存在が可視化された結果も要因の一つだと著者は主張します。

最終的に、ファストコンテンツ消費が流行るのは社会的な要因が大きい、というこの手の本にありがちな方向性で論旨が進んで行くのですが、個人的にそれについても同意します。何でも社会のせいにするなよというテンプレートな批判もできるのですがある程度の相関性はあると思います。マジョリティ層はコミュニティの波に乗り遅れないよう流行りに乗っかるわけで、それならSNSやサブスクの発展に伴う社会の変動に伴って彼らの価値観も変化するはずだからです。著者もファスト消費を否定するのではなく時代の流れとして受容すべきという意見を提出して終わっており、まあそうだよなと僕も同意するのですが、ぶっちゃけファスト消費してコピペしたような短文感想しか言わない輩に遭遇したら内心冷笑していしまいそうで自分の老害化を感じました。