どりふてぃんぐそうる

Twitter:@fair_mios3

【ネタバレあり】ゼノブレイド3の感想 神VS人から人VS人へ

※ネタバレを多く含むので未クリア・今後プレイ予定の方はブラウザバック推奨

※ゼノシリーズはゼノブレイド1と2のみプレイ済み

 

めちゃくちゃ面白くてクリア後にTwitterで感想を検索したら結構叩かれててビビりました。ネガ意見に賛同する部分もありますが、個人的には90点くらいはつけられるゲームだと思います。ムービーが長いとか不要な部分が多くて冗長という意見には無限に頷きますし、設定を回収しきれていないとか敵に魅力がないというのもある程度は同意します。特に多かったのがシナリオの粗についてですが、これについては僕は肯定寄りなので以下で僕の解釈をつらつらと書いていきます。

 

 

ゼノブレイド 神無き世界の創造

ゼノブレイド3を語る上で「1」「2」への言及は避けられません。1では巨大な2体の神の骸の上が人間の暮らす大地であるという世界観の下、巨神のもとで生きる人間と機神のもので生きる機神兵が戦争状態にありました。機神に仲間を惨殺されたシュルクは復讐の旅をする中で全ての元凶が巨神ザンザであることを突き止めます。ザンザは人間のことを自身が永遠に生きるための贄としか認識しておらず、機神はザンザを止めるため巨神界へ進軍し人間を殺していたのです。シュルクはザンザを斬ることで神無き世界を創造し2つの世界に平和が訪れる、というのが本作の大筋です。本作においては「世界そのものが間違っており、神を打倒することで新世界を創造する」というグノーシス主義的思想が根底にあり、この思想は以降の作品にも引き継がれることとなります。

 

ゼノブレイド2 永遠の命と有限の命

ゼノブレイド2で対立構造にあるのは人間とブレイドです。ブレイドはコアクリスタルが破損しない限り再生し、死んでも最終的に世界そのものである巨神獣(アルス)へと変質し、アルスは死ぬとコアクリスタルになり生命を生み出します。人間の寿命は有限であるのに対しブレイドは記憶を失い転生することで実質的に永遠の命を得ています。人間とブレイドの対立はそのまま寿命の有限性と永遠性の対立でもあります。

ゼノブレイド2における神はブレイドシステムを構築し長い時間をかけ人間を正しい進化へ導こうとしていましたが、世界に絶望し途中でそれを放棄しました。特殊なブレイドの一人でラスボスであるメツは神を殺した後世界を滅ぼそうとしますが、主人公レックスにより阻止されます。ただ神を殺し、結果的に世界を再構築した結末は1と共通しています。

 

ゼノブレイド3 過去2作のテーマの掘り返し

ゼノブレイド3ではケヴェスとアグヌスという二つの国家が戦争状態にあり対立していますが、実はメビウスという組織が裏で世界を支配していることが明らかになり、本編では人間とメビウスの戦いが繰り広げられます。本作では過去2作を繋ぐと謳っているだけあって1と2の設定がそのまま登場します。フィールドマップには過去作の地形がそのまま採用されていますし、両国は人種やメカデザインなどそれぞれ1と2をモチーフにしています。それは設定にも反映されていて、上位存在が人間を生み出し裏で人間を支配している点は1と、人間は10年の寿命しか持たず死後は記憶を失い転生する点は2と共通しています。3では1,2で語られてきたモチーフを再度語っていくことになります。

世界観について補足すると、ゼノブレ3世界の人間は寿命の最大値が10年なだけで、何もしないと数年で寿命を迎えます。敵国の兵士の命を狩ることで延命することができるため、生きるためにケヴェスとアグヌスは戦争を強いられています。彼らには生殖という概念はなく、ゆりかごと呼ばれる装置から10歳の容姿で生まれ、成人までの10年間は戦うために生きることになります。この世界では人間の殆どは兵士のため、戦いにしか価値判断の基準がありません。このことは後に問題視され議論されることになります。

 

メビウス 神性と悪役としての魅力のなさについて

本作の感想を読んでいると、分かりやすい減点ポイントとしてヴィランであるメビウスの魅力のなさが挙げられています。彼らはA~Zのコードネームのメンバーで構成される組織で、人間を裏から操っていることが序盤で明かされます。初期の国家間闘争という人間同士の対立から、人間対メビウスという図式に対立構造が変形し物語は進行していきます。メビウスは洗脳や瞬間移動など超常的な能力を持っている割に、多くは人間の虐殺や精神的な葛藤を楽しむなどやたらと小物っぽい行動をしています。過去作の魅力的な悪役であるシンやメツといったイーラの面々は世界を変革するという大義があり、メンバー間の仲も良く行動の全てに意味がありました。それと比較するとメビウスはすぐ仲間割れするし無意味な殺生をし大義もないという正真正銘の小物で、全く魅力的ではありません。ラスボスのゼットには現状の世界の維持という目的はあるものの、人間に戦争をさせていた理由を「面白いから」と断言してしまう点からやはり小物感が漂います。メビウスは人間の負の感情の集合体という設定が終盤で明かされるのですが、それなら戦争をさせた方が効率的に負の感情が集まるからとでも説明してくれれば理屈が通るものを、「面白いから」という個人的な感情が先行する辺りラスボスの風格もクソもありません。

小物だと散々叩かれているメビウスですが、ある程度擁護の余地はあります。それはメビウスが人間の負の感情という概念存在であるという点です。過去作のボスにはある程度の神性がありました。1のザンザは世界を構築し大地を創造し、2のクラウスも同様にブレイドシステムを構築しました。そもそも現実世界の科学者クラウスが実験に失敗し生まれたのが1・2の世界で、そのクラウスの肉体が半分ずつに分かれたのが1・2の神です。世界そのものを創造したこと、メタ次元の存在であるという点で彼らは神性を有しています。一方でメビウスは世界を改変する能力はあっても神のように世界を創造するほどの能力はなく、人間から転生した者が大半である点で超越的な存在でもありません。メビウスは人間の負の感情の集合体で、人間より俗物的な神性のない存在であることを鑑みれば、彼らが全く魅力のない小物でも何の問題もありません。

 

ポスト・神無き世界 強者の理論について

メビウスは未来への不安から現在の時間軸を永遠に繰り返すことを目的としています。彼らはビジョンで思い通りの未来を描く1のザンザ、理想の未来を描くことを放棄した2のクラウス、世界を破壊しようとしたメツのいずれとも違う思想を持っています。一方ノアら主人公一行は人間の可能性を信じ彼らを打倒します。過去・現在と未来との思想上の対立はフィクションにおいて珍しいことではありませんが、今作の凄い点はノアの説教に対するメビウスの反論にあります。現在の戦争しか選択肢のない世界を破壊し、誰もが自由に未来を選択できるような世界にしようと主張するノアに対し、メビウスはこう反論します。「自由な世界とは未来を選択できる強者の理論だ。力のない弱者は選択することなどできない。それならば今のように永遠に転生する世界ならいつか強者になれるのではないか(意訳)」。これは安易な人間賛歌へのカウンターとしてかなりクリティカルな指摘です。選択の自由があるということと自由に未来を選択することができるということはイコールではありません。神無き世界とは絶対的な価値観が存在しない世界で、それにより今より不幸になる人間が存在する可能性をシュルクらは見落としています。

これに対しノアらは「だからといって戦争続きで戦闘力しか価値尺度の基準がない今の世界は間違っているからぶっ壊す(意訳)」と答えます。まあそれはその通りですし強者の理論を盾にして愉悦のために今の世界を作るメビウスの主張は論理が飛躍しています。

強者の理論のカウンターとして引き合いに出される人物がシャナイアとヨランです。彼女らは戦闘力において劣等感を抱えていることで闇堕ちして主人公一行に立ち塞がります。ノアらは戦闘以外にも様々な価値観のある世界を主張し説得し、彼女らは最終的に納得して成仏していきましたが、冷静に考えると少し引っ掛かります。シャナイアは美術の才能があったので戦闘以外の価値観が生まれることで救済されますがヨランは違います。ヨランは回想で語られるように、何度生まれ変わっても弱い上に彼自身強いヒーローに憧れています。彼は戦闘力で承認欲求が満たされないと満足できないという点でノアの理論では説得できません。ところがヨランは人間時代に死んで皆を助けたからノアらより強い!という謎理論で成仏していきました。問題提起はよかったものの解答は雑だったのでここは結構減点ポイントでした。

 

永遠性の否定 継承とおくりびと

先述のようにメビウスは永遠を望み転生を繰り返す人類を創造し、その感情エネルギーを吸収し永遠の寿命を得ました。彼らは不確定な未来を恐れるという点をザンザと共通していますね。ノアらはそれを否定し生命の有限性の尊さを説きました。永遠性の否定というモチーフはゼノブレ2で見た通りです。ゼノブレ2では永遠の寿命を持つブレイドであるシンは愛する人間と永遠を過ごせないこと、過ごした記憶を失うことを悲観し世界の滅亡を望みました。僕はフィクションにありがちな永遠のユートピアを支持しますが、少なくともゼノブレシリーズにおいては永遠の世界は否定されべきもので、不確定だけど自由な未来こそが称揚されています。

3においてシン的ポジションにいるのがエヌです。エヌは(厳密には違いますが)ノアの前世であり、幾度かの転生によりヒロインのミオを何度も喪失したことで絶望し、メビウスとなりミオを失わず永遠に共に過ごすことを目的とします。この辺り世界の破壊を目的としたシンとは対称的ですね。ノア曰く、永遠とは現状維持、つまり未来をより良いものに変えようとする意志がない状態です。この思想のもとエヌは倒されることになるのですが、実はノアもミオとの永遠を望んでいたことが6章で明らかになります。二人の相違点はエヌは無限の時間をミオと過ごしたいと思っていたのに対し、ノアは寿命の範囲内でミオといたいと思っていた点にあります。そしてここから「継承」というゼノブレイド2から続くテーマが浮かび上がります。

そして本作における継承のモチーフこそおくりびとです。作中でおくるという行為は笛の音で死体を弔うことを指します。これはメビウスについて知る前からノアらが行っていた行為で、彼らの世界では死が身近なものであったからこそ弔事が発展しました。弔うことそれ自体が死者と生きた存在がいて初めて成立する行為なので、寿命が有限である人間特有の行為と言えます。作中において「おくる」ことは罪悪感や喪失感の緩和のためにあると言及されますが、ここでは命を軽視し弄んできたメビウスと対比されています。ゼノ3世界の人間は生殖行為を行うことができないので物理的に遺伝子を継承する術がありません。そのため弔事で意思の継承を行うわけですね。中盤以降想いだの未来だの抽象的なフレーズを乱発していたのもこの世界観を下敷きにしているわけです(それにしても多様しすぎですが)。

ではなぜ永遠を望むメビウスは否定され継承を重視するノアが勝利するかというと、ザンザしかりメビウスしかり、ある単一の価値観が支配する状況が続くと進化の可能性が閉ざされるから、というのがゼノブレイドシリーズで一貫している主張だからです。そもそも人間は誰しも美味いものが食べたいとか、金持ちになりたいといった進化への欲望を持っています。シリーズにおいて進化や発展は無条件で称揚される価値観であるという前提があるのでそれを阻害するメビウスは敗北しなければなりません(この進化への無条件の肯定に待ったをかけるのが先述の弱者の理論のくだりなんですけど投げっぱなしにされています)。仮にメビウスを打倒してノアが新たな神になった場合、それは彼らと同じで神という単一の価値観による支配が再開するだけなので、特定の支配者は存在してはならず民主主義的に世界が運用されるべきで、人間も死とそれに伴う意思の継承により価値観を流動させる必要があるわけです。さっきのエヌとノアの話でいくと文字通り永遠にミオと共にあろうとしたエヌは進化を否定しているからゼノブレでは敗北する運命にあります。ノアもミオと共にありたいという思いはエヌと同じですが、寿命の範囲で過ごせたらよく、死んだときに人生を振り返って満足できればそれでいいんですね。

 

結局ゼノブレ3って必要なの?

本作の感想でそこそこ書かれていたのがゼノブレ3不要論です。まあ確かに脚本は冗長で分かりにくいし投げっぱなしの伏線もあるし設定だけ1・2から引っ張ってきて活かしきれていないという意見も分かります。僕個人の意見としては必要とは言わないまでも不要と掃き捨てるレベルでもないのでここで擁護しておきます。まあ僕はシリーズのファンでかなりバイアスがかかっているので擁護するだけで、ニュートラルな立場だったら文句つけてる可能性もあります。

 

www.nintendo.co.jp

これは任天堂の公式が出してる開発者へのインタビュー記事なんですが、ゼノというタイトルにもあるようにゼノブレイドシリーズは異質なもの同士の関わり合いをテーマにしています。1であれば巨神界の人間と機神界のマシーナ、2なら人間とブレイド、3であればケヴェスとアグヌスといった、最初は相反していた二つの勢力がシナリオを通して和解し、新しい世界を作っていくという方向性が一貫しています。

そして各シリーズにおいて1・2は人間と神、3は人間とメビウスというようにレイヤーが一つ上の対立構造も設定されています。繰り返しになりますが1では神は悪の思想を持つ敵であり、異種族が結束して神を殺すことで新世界を構築しました。2では神は悪い奴ではないのですが進化を諦めてしまっていたためレックス一行と和解し消滅し、ラスボスはブレイドのメツでした。3ではそもそも神は存在せず、メビウスは人間の負の感情の集合体です。よくよく考えると神→ブレイド→人間(の感情)とラスボスのスケールはシリーズを追うごとに縮小しているんですよね。これこそが3の必要性に繋がってくると僕は思っています。つまり3は1・2の積み残した論点に応えるために必要があったのです。

説明不足なのでもう少し掘り下げます。1のラストで神無き世界をシュルクが掲げたはいいのですが、特定の支配者がいない世界をどう統治するかという課題には触れられませんでした。次の2では神が死んだあと人間とブレイドの対立になりますが、レックスは「それは俺じゃない誰かだ」と継承を匂わせる発言をした後メツを倒し、神のご都合でヒロインが蘇生しました。過去作は神を倒したり神のご都合でハッピーエンドになっただけで、神が介在しない人間だけの世界の運用については語られなかった。なので3の適役は神性のない(魅力のない)メビウスでないといけないし、バカの一つ覚えみたいに未来を称揚する主人公一行らと真逆の思想を持つ必要があったのです(もしメビウスが神に等しい存在なら2つの世界の衝突を止められたはずなので、彼らは超人的な能力は持つものの神とまではいかない存在です)。人間だけで世界を運用しようとすれば様々な衝突があります。メビウスを倒すことは、人間の正負の感情を調停し、人間の力だけで世界を統治することとイコールです。いい未来も悪い未来もあることを考慮した上で、それでも支配下の世界(自由のない世界)よりも選択の自由がある世界を望むのがノアらの最終的な主張です。ラストで主人公一行が離れ離れになるのが納得いかないという意見にも、同じ理由で反論ができます。これまでのように都合のいいハッピーエンドを受け入れてしまうと、メビウスの存在を否定することになるわけです。あくまでも自由や未来の両義性を踏まえた上で、それでも進歩や進化を称揚するところにシリーズの美学があるわけですね。過去作で自由・未来・進歩のポジティブな部分だけを抽出した歪みを清算したのがゼノブレイド3という作品であると僕は解釈しました。

補足:ラストでノアがメビウスを斬った魔剣を海に捨てるシーンはかなり好きです。あの儀式をもってノアは次代の神の座を放棄して一般人になりました。これからの時代は特定の武力ではなく人民みんなの政治により世界が運用されることを示唆した象徴的なシーンですね。

 

その他シナリオ以外の感想

長々と語ってきましたが3はシナリオ全体としては80点くらいで、1・2の方が好きです。印象的なのは6話冒頭でミオを失ったノアをエヌが煽るシーンで、そこだけはムービーを何度も見返すくらい好きです。あとシナリオ本編では説明不足だった要素もサブクエストである程度補完されているので、やりこんだ人とそうでない人で結構シナリオの感想が変わるとは思います。

その他の要素:キャラや戦闘、マップ、音楽などは過去作に並んで良かったです。ただ1の生物の身体がワールドマップという独特さや、2のホムヒカのように露骨にオタクウケを狙ったキャラデザのような尖った部分はなく、ゼノブレの平均点といった感じ。僕はオタクなのでもっと媚びたデザインのほうが嬉しかったです。

ボリュームに関しては寄り道してクリアまで80時間くらいで、やりこみ要素全部終わらせたら100時間程度と相変わらず大盛りです。アニメや漫画と比較したゲームの利点として、ボリュームに際限がないのでキャラクターのバックボーンを描写しやすいというのがあります。ボリュームが多いほどキャラクターに愛着が湧くしロールプレイが捗ります。多種族との交流を謳う本シリーズにおいて、ボリュームが多いということはすなわち世界の情勢に耳を傾け共に世界を冒険し没入感を高めることに繋がります。プレイの際は是非寄り道をしながら旅することをお勧めします。

まとめるとゼノブレイド3は90点くらいの評価のゲームで全然人にお勧めできる作品だと思います(ちなみに1・2は別ベクトルで120点くらいあります)。