どりふてぃんぐそうる

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2023年1・2月履修コンテンツ 久保さん/天使様/サクラノ詩/ポリコレ批判本etc

 

 

アニメ

お兄ちゃんはおしまい!

スパイ教室

転生王女と天才令嬢の魔法革命

久保さんは僕を許さない

お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件

 

ゲーム

サクラノ詩

 

漫画

ぼっち・ざ・ろっく!(1~5巻)

久保さんは僕を許さない(1~139話)

 

書籍

「社会正義」はいつも正しい

 

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ピックアップ

久保さんは僕を許さない

高木さん系の作品(特定の美少女がなぜかモブ顔の主人公にだけ優しく思わせぶりな行動をとってくるアニメ・漫画のこと)って卑屈なオタクの願望が前面に出てるのが気持ち悪くて敬遠していたんですけど、食わず嫌いせず見てみるとそこそこ面白いですね。オタクの妄想するシチュエーションを萌えキャラがやってるだけで視聴に耐えうるので美少女は偉大です。

『久保さん』も高木さん系なので久保さんが主人公をからかってるのが基本姿勢なんですが、中盤で久保さんが恋心を自覚して以降は普通のラブコメと化してきます。序盤久保さんが主人公をからかって主人公の男を上げた後、これまでからかいの対象だと思ってた主人公の不意のイケメン行動に久保さんが恋愛感情を抱いてしまいます。僕としてはヒロインの赤面は好きなのでいいんですが、この手の作品を主人公に自己投影して楽しんでいる層からするとあまり面白くないのかもしれません。ただコメント欄では二人の関係性に悶えている人が多そうなので杞憂だとは思いますが。

 

 

お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件

面白いんですがめちゃくちゃキモいです。特に特徴のないネクラ主人公に学校一の美少女が優しくしてくれるというプロットはそこらのラノベでありがちなんですが、優しくしてくれるの度合いが違います。ヒロインはなぜか毎日主人公の家にいて料理掃除洗濯など介護かというレベルで主人公の世話を焼いてくれます。で、親や友人から「学校一の美少女に尽くしてもらえて羨ましい」と弄られても主人公は「いや、俺はあいつと付き合ってるわけでも恋愛的に好きなわけでもねーし」とスカしてるんですよね。

特にキモいのがヒロインは毒親持ちで愛情に飢えていてその穴を埋めてくれるから主人公に尽くしてくれるという構図です。天使様は学校一の美少女なので周囲のモブにはちやほやされるんですが、そういうのは上辺だけの愛情と切り捨て、逆に普段冷笑的な主人公を本当の私を見てくれる態度と肯定するのがヤバい。冷静に考えてヒロインの献身性と主人公の愛情が釣り合ってないんですが、それこそがさらにヒロインのツボを刺激し依存するという加害性が隠されているのがミソです。

そういう前提のもとヒロインが尽くしまくる様を楽しむゴリゴリの男尊女卑作品ですが、最近は主人公も恋心を自覚したようでラブコメとして面白くなってきました。フェミに見つかったらリンチされる類のアニメなので細々とやっていて欲しいです。

 

 

サクラノ詩

2年前にプレイしていましたが新作が出るので再履。名作は何度やっても面白い。

前作『素晴らしき日々』のテーマを「自己」と「非日常」と考えると『サクラノ詩』のそれは「他者」と「日常」でしょう。ありふれた日常こそ尊いものだという青春作品で用いられがちなモチーフを芸術と関連付けて多角的に描いている点がかなり斬新で、そこから派生して死生観、神、幸福論へと論理が発展していく様はライターの教養の深さを感じさせます。エンタメとしても面白いですがプレイヤーの価値観に訴えかける側面も強く、シリーズプレイ後に哲学書を齧り始める人も多いのではないでしょうか。

『すば日々』は非日常的な猟奇事件を通してウィトゲンシュタイン論理哲学論考』の理論をベースに自己と世界について考察することでありふれた日常を肯定しますが、『サクラノ詩』では終盤で日常を喪失することで逆説的に過去の日常を肯定しています。大人になり肉親や友人を失ってもなお彼らは幸福足り得るか?という問いが『サクラノ詩』において大きなウエイトを占めており、ここで芸術そして「他者」というモチーフが接続されます。

「芸術とは人生の批評である」「批評とは何かに価値を見出す行為である」と作中で言及されますが、批評とは定義上他者を必要とする行為です。そして芸術が批評であるならば、芸術もまた他者との関わりの中で完成されます。主人公はまさにそれを体現しており、彼が作中で披露する芸術作品は全て他の芸術作品との比較の上で成立します。「他者の介在」という彼のこの姿勢はエロゲー的な複数ヒロインとのコミュニティや青春作品のテーマとも呼応し彼らは素晴らしい日々を過ごしますが、そんな時間も有限でいずれ失われます。しかし芸術作品の、鑑賞者の批評によって何度でも制作の瞬間は蘇るという性質により、彼らの青春は永遠となり後世でも幸福に生きることができるという結論は結構感動しました。言っていることはそこそこベタなんですけど、そこに持っていく過程と論理が抜群に上手いんですよね。

もう一つ好きなポイントは『すば日々』から通底する「幸福と絶望は裏表」という価値観です。「絶望への道は善意で舗装されている」「幸福の裏側には絶望がべったりと貼りついている」「幸福は美酒のよう」と色々言い換えられてはいますが、この価値観は作中で頻出で、僕もかなり共感するところがあります。本当の幸福はリアルタイムでは知覚できず、失って初めて気付くという話はこれまた頻出のテーマですが、やっぱり例えが上手くて感心します。

とりあえず次回作『サクラノ刻』、期待大です。

 

 

「社会正義」はいつも正しい

タイトルは皮肉で、実際はポリコレ批判の本です。マーベルやディズニー映画で顕著ですが、近年はマイノリティ層への配慮からやたらとゲイや黒人、肥満者がメインキャラに据えられがちです。一見過剰な配慮は、彼らの逆鱗に触れれば社会的に潰されるからで、こうした流れはキャンセルカルチャーと呼ばれます。この本ではこのおかしな風潮の源流はどこにあって、それがどのように発展してきたか、そして現代で及ぼしている影響などを体系的に説明しています。序章で著者のスタンスを明示しつつ細かく章立てて書いてあるおかげで読みやすかったです。

マジョリティ側は理論で物事を考えるのに対してマイノリティ側(ポリコレ)はお気持ちで物事を考えるという主張はある程度説得力があります。Twitter上では毎日のようにフェミニストが難癖をつけて暴れまわっていますが、彼女らは自身の実体験が価値判断の基準であり、反対意見は権力に支配された強者側の言い分だとして聞く耳を持ちません。そのため彼女らに対しどれだけロジカルに反論しても無意味なのです。しかしこの異常な理屈が力を持ってしまっているゆえにアメリカ映画界の惨状があるわけで、フェミ側が叩かれてる現状の日本サイドはまだマシなのかもしれません。

ちなみにそんな状況の欧米でこんなポリコレに喧嘩売る本出して大丈夫なのかと思って後書きを読んでたら該当層からしっかり叩かれてるらしくて笑いました。

 

 

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クソゲーの解説動画を投稿するチャンネル。僕はクソゲーには「動」のクソゲーと「静」のクソゲーがあると思っています。「動」のクソゲーとは「キャラクターの挙動がおかしくなるバグがある」「クリアにかかる難易度が理不尽」といった動画映えするような派手な減点要素があるものを指し、一方で「静」のクソゲーとは「内容が薄い」「中身のない作業を延々とさせられる」といった、それ自体は笑えず単純につまらないゲームを指します(今考えました)。このチャンネルの魅力は後者のような動画映えしないタイトルも編集で視聴に耐えうるものに昇華させてしまう点にあります。編集といっても昔のニコニコ動画で流行ったようなネットミームを切り貼りしたものが多いのですが、カスみたいな素材にしては上手に調理できています。クソゲーの大半は後者のような静のクソゲーであり、月に数本動画を投稿する都合上虚無ゲーを頑張って味付けする技術が身に付いたかと思うと泣けてきます。ニコニコ動画で育った世代は楽しめるチャンネルだと思います。